特 徴
木場潟から臨む霊峰白山。
その手前に広がる小松の里山には、美しい花の彩り、清らかな水辺、そして文化の交流拠点として、人と自然が織りなすさまざまな魅力にあふれ、外部からも様々な評価を受けています。
こまつ里山は「生物多様性保全上重要な里地里山」の一つに選定されています。
これは環境省が、さまざまな命をはぐくむ豊かな里山を、次世代に残していくべき自然環境の一つであると位置づけ選定しているものです。人工ではない自然林の割合が高く、四季折々の美しさに彩られた広葉樹林が広がるこまつ里山は、未来へ引き継ぐべき貴重な財産です。
また小松市は、地域住民が築き上げた優れた自然環境と農業のバランスが保たれ、安心できる農産物の生産に適した環境の地域に対して授けられる「環境王国」の認定も受けています。木場潟や大杉谷川、大日川、銘水の評価を得ている桜生水、弘法の水、観音水など豊かな水源を有し、ホタルやハッチョウトンボなどの希少生物が息づいています。肥沃な土壌を持つ小松市は農業も盛んで、稲作のほかトマトや大麦の生産は、北陸三県一を誇ります。
小松の珠玉と石の文化は、文化庁による「日本遺産」として認定されています。
小松の石の文化は、2300年前の弥生時代に権力の象徴とされていた「碧玉(へきぎょく)」に始まります。当時国内で碧玉が産出されたのは4か所だけで、中でも小松の品質と加工技術は傑出していました。ミリ単位の精度で作られた装飾品は現代でも復刻が困難なほどと言われ、その玉つくり技術は九州や東方へと伝播。小松は東西文化、日本海交流の中心地となりました。
また小松市では古くから石切り場が開発されました。古墳時代後期の石室で凝灰岩が活用されたことに始まり、江戸時代からは近代のまちづくりに必要な建材として石切り場が本格的に開発されました。近世に開かれた石切り場からは、美しい青白の滝ヶ原石、湿気に強い観音下石などが産出され、国会議事堂の建材としても使われました。
他にも尾小屋・遊泉寺・金平などの鉱山や、九谷焼の原材料となる花坂陶石、オパール・メノウ・アメジストなど、小松は豊富な地下資源に恵まれています。
小松市は、農林水産省による「SAVOR JAPAN」として認定されています。これは日本が誇るべき農山漁村の食の魅力を、世界に向けて積極的に発信する取り組みの一環として行われているものです。
加賀は戦国時代「百姓の持ちたる国」として農民が統治し、織田信長に滅ぼされるまで一世紀ものあいだ国が守られてきました。この中で生まれたのが「報恩講(ほうおんこう)料理」です。小松では「ほんこさん」と呼び、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の命日である旧暦11月28日に合わせ、煮しめや煮豆などの精進料理がふるまわれます。
また江戸時代には加賀前田家の茶文化や懐石料理、和菓子が普及し、町衆文化としてはぐくまれてきました。
小松市では、これらの伝統的な食文化を体感できる周遊ルートを創出すべく、取り組んでいます。
豊かな自然に囲まれている一方で、小松市は交通の利便性にも優れています。
標高50~60mの低丘陵地が南北に広がり、裾野を国道8号が走り、里山を囲むように道路が配置されています。
国際線が乗り入れる北陸の玄関口・小松空港や、2024年開業の北陸新幹線小松駅、北陸自動車道小松ICとさまざまなルートでアクセスが可能です。
課 題
3,300ヘクタールの里山で十分な手入れがされておらず、日光がさえぎられ、風通しが悪化し、広大な面積の里山の荒廃が進んでいます。また中国原産の竹(モウソウチク)がはびこることで森林の衰退が進んでいます。ツキノワグマ等の獣害の問題も発生しています。
市内では耕作放棄地が増えており、洪水調整機能や水質浄化機能の低下が懸念されます。また高齢化に伴う農業の担い手減少、転作田や里山農地の収益性、大麦や大豆といった小松産農作物の有効活用なども課題になっています。
これらの課題に対して、農林業者や地域コミュニティ、市民、企業、市民団体、行政など官民一体となった活動を拡大し、里山の保全・活用を推進するビジネスモデルとして確立することを目指します。